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2007年09月

13日 公私混淆

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公私混淆

2007年09月13日

最近、公共意識や規範意識の低下が言われているらしい。どこにでも坐り込んだり、電車内で化粧したり、そうした若者が増えているせいか。思うにそれは携帯電話の普及が多分に影響しているのではないか。ほかにも携帯音楽プレーヤーとかノート型パソコンなんかも影響しているだろうが、携帯電話がその最たるものではないか。

抑も携帯電話というのは、プライベートなコミュニケーションを行うツールなのだ。社用で使用しているとしても、周囲にはプライベートな行為として映るわけで、つまり携帯電話を使うということは、使用する人にとってその場所が瞬時にしてプライベートな空間になるということなのだ。パブリックな空間にプライベートな空間を開いてしまうというか。そしてプライベートな空間にいる者にとって公共意識や規範意識が薄れてしまうのはなかば必然と言っていい。たとえば自分の部屋にいる者が他人の視線など気にするだろうか。

要するに携帯電話というツールは、パブリックな空間とプライベートな空間を決然と分かつことを不可能にしてしまうのだ。パブリックな空間にいながら同時にプライベートな空間にもいるということをそれは意味していて、もはや避けられない現実だろう。とはいえこうした話は今にはじまったことではなく、携帯電話が出てきた当初から言われていることだ。

ところで規律訓練型権力から環境管理型権力への移行ということも、最近言われているわけだが、上記の状況から見るとよく分かる。つまり規律訓練型権力が機能する場としてのパブリックな空間が、個々のプライベートな空間によって虫食いのような状態になっているということだ。

抑も規律訓練型権力において、公共意識や規範意識というものは、他者の視線を内在化させることで得られるものだ。ところが、常にプライベートな空間を纏っているとそうした他者の視線を意識することが困難になり、それを獲得すること自体が困難になるわけだ。その結果、そうした他者の視線を内在化することができない人が増えているということか。公私混同ならぬ公私混淆と言えよう。

そして、他者の視線を内在化できないのなら外在化させればいいという発想で、最近増加しているのが監視カメラだ。そうしたなかで公共意識や規範意識を高めるには、プライベートな空間を身に纏うことを、つまり携帯電話等の使用を、全面的に禁止するしかない。しかしそんなことは不可能だし現実的でもない。もはや携帯電話のない生活なんてあり得ないからだ。だから公共意識や規範意識の低下というよりは、公共意識や規範意識の変化と言ったほうがいい。自己責任という言葉に象徴的だが、自己決定権の増大もそうしたことと相即の関係にあるだろうし、ポストモダンな状況に適応した結果とも言えるだろう。

そうとすれば、上記のようなどこにでも坐り込むとか、電車内で化粧するとか、そうした行為にしても、単純にそれだけを切り取ってマナーが悪いと非難することもできなくなる。というのも、そういったマナーを犯す者が一方にいて、それを快く思わない者が一方にいるわけだが、両者は同じ空間に身を置きながら、同じカテゴリーに属していないからだ。片やプライベートな空間に身を置いていて、片やパブリックな空間に身を置いている。そしてそうした行為が非難されても、非難された者は非難されたことを快く思わない。なぜなら、プライバシーを侵されたと認識するからだ。ここにはコミュニケーションの断絶があり、この溝はなかなか越えがたい。

一方でプライベートな空間を身に纏うことを許され、一方でパブリックな空間にいることを求められる、つまりはプライベートな空間を身に纏うことを禁じられるという、ダブルバインドの状況に否応なしに置かれているということなのだ、私たちは。パブリックな空間にありながらプライベートな空間に没入してしまう私たちには、もはや監視カメラはなくてはならないものなのだろうか? テロ対策等考えると、已むを得ないという気もするが、なんだか前世紀のSF的な管理社会に近づいている気がしてならない。

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