<< 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 >>
雑記
miscellaneous notes
あれもペクチン、これもペクチン
2007年05月27日
ムースやタルトのデコには艶出しの上掛けとして透明なナパージュを使う。市販のものもあるが、添加物等が気になるので自作している。保存はあまり効かないが、何かと重宝していて、市販品を買う必要は今のところ感じていない。
そのレシピは当サイトにもupされているが、先日そのレシピでナパージュを作ったという方からメールを頂いた。それによると、レシピの通りに作ったもののまったく固まらなかったということだ。作り方自体は難しいものじゃないから、失敗するということはまずないと思うのだが、何度やってもうまく行かないというのだ。
どうも使用したペクチンが異なるようで、その方は『MCPペクチンパウダー』という製品を使用したとのこと。ところが私の使用しているのは小倉食品化工株式会社の『ペクチン』。と言ってもペクチンはペクチンで、製品によってそれほど違いが出るものかと不思議で仕方がない。これまでうちのレシピでナパージュを作ったという声は二、三あるが、失敗したというのは聞かない。
とはいえ、レシピ通りに作って作れないとなると、それはこちらの不備とも言える。今後同様のことが起きないともかぎらないし、何か対策を立てねばなるまい。それには『MCPペクチンパウダー』がいかなるものかを知るに如くはない。そこで、当該製品を使用してナパージュを作ってみることにした。そしたらなるほど固まらない。ペクチンの量が足りないのかと量を増やしてみてもやはり固まらない。ということはやはり製品自体の違いが関係しているらしい。
そこで、両製品の成分がどうなっているのか見てみると、以下のようになっていた。
『MCPペクチンパウダー』
ブドウ糖液糖
フルーツペクチン
クエン酸
小倉食品化工株式会社
『ペクチン』
グラニュー糖(74%)
ペクチン(25%)
乳酸カルシウム(1%)
若干の違いはあるものの、何が決定的な違いなのかはよく分からない。
ところで、ペクチンがゲル化するには条件がある。ただ砂糖といっしょに煮詰めればいいというものではない。きちんと条件を満たしていなければゲル化はしないのだ。その条件というのは、pH2.7〜3.5、糖分55〜80%、というもの。
固まらない、つまりゲル化しないということは、上記ゲル化の条件を満たしていない可能性があるということだ。ということは、抑もレシピ自体に問題があるということも考えられる。そこで計算してみると、糖濃度が32%程度しかないことが分かった。ゲル化しなかったのは恐らくそのせいだ。
ではなぜ、小倉のペクチンではゲル化するのかというと、何らかゲル化を助ける働きが作用していたということで、成分を見るとそれが分かる。『MCPペクチンパウダー』にはなく、小倉の製品にあるもの、そう、乳酸カルシウムだ。 調べてみると、乳酸カルシウムにはペクチンを架橋させてゲル化を促進する働きがあるということだ。
これで問題の所在はほぼ明らかになったと言っていい。つまり糖濃度が低かったことと、そのうえゲル化を促進する乳酸カルシウムが含まれていなかったこと、それがゲル化しなかった原因だ。ということは、糖濃度を高くすればいいわけだ。そして条件に合致するように分量を調整して再度試作してみたところ、きちんとゲル化した。
ただ、糖濃度が高くなった分、甘みも強くなってしまい、ナパージュとしての使用はちょっと厳しいかもしれない。酸味を足すなどして調整する必要があるだろう。
レシピには、いちいち製品名まで明示していないが、製品によってはでき上がりに違いが出てしまったり、あるいはちゃんと作ることさえできなかったりすることもあるのだと知り、勉強になった。また、メールを頂いた方には大変感謝している。とはいえすべてのレシピにおいて製品名を明らかにするのも、宣伝めいてためらわれる。かといって事前にすべての製品で検証することも難しい。
ただ、こればかりは垂れ流しだからなどと済ましてもいられないので、ご指摘頂ければ、それについては誠意を以て対応する所存だ。
尚、メールを頂いた方は、その後小倉のペクチンでちゃんと作れたということだが、一応今回の検証結果は報告させて頂いた。
右から左へ受け流す
2007年05月14日
「右から左へ受け流すの歌」が面白い。ただ右から来たものを左へ受け流すと言っているだけで、何の意味もない。その無意味さに、不条理に、笑ってしまう。最初に見たのは「ガキの使い」だったが、それからジワジワと浸透してきてる感じで最近よく目にする。
ほかにも「上から落ちてきたものをただ見てるの歌」とか「数字の6に5を足してみたの歌」とか「後頭部に違和感があるの歌」とか、ヴァリアントはいくつかあるが、曲自体は同じだし構造的にも同じ性質のものだ。ただ、「後頭部」の歌はほかの歌に較べて不条理感が著しく減衰していて、不条理というよりはあるあるネタ的なものになってしまっている。
ふと思ったのだが、自分の小説を一言で喩えるなら、このムーディ勝山の「右から左へ受け流すの歌」みたいなものではないだろうか。フリだけがあってオチがないというか、内容らしい内容がないというか、そうした有りようがどこか似ているような気がするのだ。尤も私の小説を読んでもほとんど笑いは生じないが。
そしてこの面白さは、ある意味ベケット的でもあるなと思うのだ。中心が不在で中心から逸脱する様だけが描かれているという点で、あるいは意味を無意味へと変えてゆき、それが笑いを誘うという点で、サミュエル・ベケットにも通ずるものがあるかもしれない。
ということは、「右から左へ受け流すの歌」を面白いと感じるセンスがあるなら、ベケットも面白く読めるんじゃないか。そんなふうに思う。とはいえ、ベケットはムーディ勝山のようには広く受け入れられないだろう。ベケットの徹底した不条理は、ムーディの不条理を遥かに凌いでいるだろうからだ。
因みにベケットが意味ゼロの地点を指向していたとすれば、その対極にいるのがジェイムズ・ジョイスと言えよう。ジョイスのほうは言葉に多様な意味を込めていたわけだから、意味無限大を指向していたってことになるか。だからジョイスを楽しむには注釈が必要なのだが、ベケットには注釈は不要なのだ。
そのうち何とかなるだろう。
2007年05月11日
現在猛烈に小説を執筆中、一心不乱に書きまくり中、脇目も振らずにキーを叩きまくり中、夜の目も寝ずに書斎に籠もり中、というのは嘘で、全然書けてない。いや全然ってことはないが、筆が進んでいるという感じではない。イベント※も終わったことだし、そろそろ小説に専念できるだろうと思ったがそうすんなりと事は運ばないらしい。いったい、いつになったら書き終わるのだろう。まあいつかは書き終わるだろうが、今のところは何とも言えない。暢気(のんき)に構えているわけではないが、焦ったってはじまらない。そのうち何とかなるだろう。
※──5月5日に開催されたコミティア80