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雑記
miscellaneous notes
咳が出る
2006年02月16日
一週間ほど喉の痛みと咳に悩まされていたが、その咳で肋骨に罅でも入ったらしく、咳するたびに骨に響く。深く息を吸っても響く。見ると脇腹から肋骨が突きでていて、幸い出血はなく、ほんの一センチくらいか、突きでたその先端部を親指の腹で押し戻した。どうにか元通り納まってくれたが、しばらくするとまた痛みだし、手を当てて探ると突きでているのが分かる。また、押し戻す。しばらくすると飛びだす。押し戻す。そのくり返し。
と思ううちに何かがコトリと床に落ち、白い棒状の、いくらか湾曲しているそれは肋骨に違いなく、慌てて戻そうとするも折れたところが鋭利になっているせいかうまく入らない。脇腹に開いた小指ほどの穴に指を差し入れ、押し拡げ、そこへ肋骨を差し込むが肉に刺さって中まで入っていかない。それどころか、押し拡げたその穴から次々と肋骨が飛びだしてくる。慌てて口を閉じるが半分ほどは出てしまっただろうか。
咳が治まっても穴はなかなか塞がらず、激しい運動などするとそこから骨が落ちてくる。三割ほどの骨が落ちた頃だろうか、体をうまく支えられなくなった。力を入れても踏ん張ってもグニャリと歪んでしまい、真っ直ぐ立っていることもなかなかできない。要するに骨が足りないらしい。
以来運動は控え、強風の日は外出を避けるようにしている。それでも時どき骨が落ちる。そうしてすべての骨が落ちたら骨格標本がひとつできる、私にそれを組み立てることはできないにしても。
飛べる
2006年02月10日
五歳の息子が空を飛びたいと言って利かない。無理だと教えたがどうしても飛ぶと言って譲らない。なら好きにしろ怪我しても知らないぞとつい口が滑ったが、いざとなったら怖じ気づくに決まってると高を括っていた。しかし息子は本気だったらしく、敢えなく骨折した。
まだ無理なのだ。小学校に上がらなければ翼はきちんと機能しないのだ。大人羽根に生え替わるのはそう、三年生の夏から秋に掛けてで、その年の夏休みが最も輝いているのもそのためだ。気持ちは分かる。真っ白な翼をはためかせ、全身に風を受けながら大空を舞うことの爽快感といったらない。況して初めての飛翔となれば尚さらだ。斯く言う私も息子くらいの年頃に飛べると思って屋根に上がったものだ。毎年そうやって骨折する子供があとを絶たないことくらい知っているが、まさか自分の息子がとそこまで考えが及ばない。親とはそうしたものか。
妻にはひどく叱られた。
穴
2006年02月08日
ここ何ヶ月かマンガを描いていたせいか、小説には全く手をつけていなかった。枚数的には四〇〇字詰原稿用紙に換算してすでに一〇〇枚を越えていてそろそろ纏めに掛かる頃合いなのだが、間が開きすぎたせいかなかなか再開できずにいた。再開するにはやはり通して読み返さないといけないので、それが面倒臭さにグズグズと見て見ぬ振りしていた。それではいかんとようやく原稿を手に取ったものの、我ながら読みにくい文体に辟易したというか、読み返すだけでひどく疲れる。それでも少しずつ読み進め、書き進めている。
いや、書きつける傍から書きつけた当の文字がスルスルと滑り落ちてゆき、すでに書かれてある文字までがつられてスルスルと滑り落ちてゆき、折からの強風に煽られて空高く舞いあがり、原稿は穴だらけになってしまった。滑り落ちたあとの空白の周囲にある文字たちは落ち着かなげにその身を震わせながら、自らもまた滑り落ちたものかどうか思案している様子。これ以上穴が増えたら困るから早まったことはしてくれるなと諭しもするが、不意にできた余白に吸い寄せられるように語列は乱れ、行が行の体をなさぬほどにまで語同士がくっついてしまうのだった。そうして寄り集まった語がさらに周囲の語を呼び寄せるのか、いつか紙面は真っ黒くなり、読むことさえ叶わなくなってしまった。一点穿たれた穴の如き黒い丸。小説となり損ねた語の屍。
いや、これこそが小説なのではないか。あらゆる語の集積としての闇の如き黒丸こそが、真に小説と呼ばるべきものではないか。誰にともなくそう呟きながらその闇のほうへ吸い寄せられてゆく。私というものはもはやない。
というか喉が痛いし熱っぽい。風邪か?